世界遺産とエスペラント
私は一昨日(2012-04-04)に早くに目が覚めて、なんとなく世界遺産のことが頭に浮かんだ。昨年は、太平洋に浮かぶ小笠原諸島が世界遺産に登録され、多くの国民が喜び、観光客がふえているという、嬉しいような悲しむべき現象がひろがっている。悲しむべきというのは大勢の観光客が押し寄せて、それが東洋のガラパゴス諸島といわれる自然豊かな島に雑菌が持ち込まれ、島の在来種に大きな変化を与え滅ぼしてしまうのではないか、という恐れがあるからだ。
日本の世界遺産というビジュアル週刊誌が某新聞社から発行されはじめていることを知って、よくだべりに行く、近くの本屋に全巻予約を申し込んだ。もう私の体力ではすべてを訪ねるのは無理だと思うから。
ユネスコによって世界遺産条約が提案され、1972年に「世界遺産条約」が採択されてから40年、遺産の種類は文化遺産、自然遺産、複合遺産、危機遺産の4種類があり,はじめの二つについては特別に説明はいらないだろうが、複合遺産とは、文化遺産と自然遺産を兼ね備えたもの。危機遺産とは武力紛争、自然災害、大規模工事、都市開発、観光開発、商業的密漁などにより、その普遍的価値が損なう重大な危機にさらされている遺産のことと、説明されている。
世界にはすでにこれら全部をまとめると900を超える遺産がある。日本では全部で16が登録されている。そのほかに鎌倉と富士山が申請中である。
またこれとは別に、産業遺産というのがある。ウイキぺディア(フリー百科事典)は次のように説明されている。
『産業遺産とは、ある時代において、その地域に根付いていた産業の姿を伝える遺物や遺跡である。日本の近代化遺産に顕著なように、産業遺産は産業革命以降の鉱工業の遺産を指す場合にしばしば用いられるが、「産業」には、農林水産業や商業なども含まれるため、何をもって産業遺産とするかについては、専門家の中でも定義が一様ではない。
国際産業遺産保存委員会 (TICCIH) は、2003年に採択したニジニータギル憲章(*)において「歴史的・技術的・社会的・建築学的、あるいは科学的価値のある産業文化の遺物からなる」と定義している』[1]
(*)ニジニータギル憲章. TICCIH産業遺産憲章の暫定日本語訳全文 2003年7月17日ロシア共和国ウラルの都市、ニジニータギルで開催されたTICCIH総会で「産業遺産ニジニータギル憲章」が制定された。この憲章は、ICOMOS(世界遺産登録委員会)によって批准され、最終的には産業遺産保存に関する国際的な基準となる重要な文書だ 。
このように、いまの時代を生きる人々がこれからの人類が次世代の人に伝えるべき遺産として、世界的規模でその保存と継承を図っている理由はどこにあるか?
私たちは昨年3月11日に、千年に1度という大地震と大津波が東北地方と関東地方の県もおそわれた。それに連動して絶対安全だといわれた福島原発が破壊され、その脅威が日本国中を被い、後手になりながら、その対策に追われている。
この日本列島に人が住みついて以来、富士山は日本人が最も愛し、信仰すべき山として、また、世界に誇れる美しい山として、毎年大勢の登山者が内外から来ているのに、いまだに世界遺産として登録されないのはなぜか。登山者が多すぎて富士山はごみの山になっているためだ、というもっともな意見もあるが、はたしてそれだけだろうか。私は富士山の裾野に、自衛隊や米軍の実弾射撃場があることが災いしていると断じている。
雄大で美しい富士山麓に戦争のための実弾射撃城は似合わない。1日でも早く無くして、美しい富士山がそのまま平和な日本を象徴するようになってほしい。
世界遺産の保存運動は、この地球を小さな国分けによって戦争をし、破壊することを許さない状況が生まれている。広島や長崎に落とされた原爆によって67年たっても被曝者の傷は癒えな一方、福島の原発事故は日本中に安心して住める場所を奪いつつある。このことは、人類が放射能や核兵器と共存できないことを明確にした。原発に対する安全神話がほころび始めたが、なおこれによって国民の生命財産を無視しても利益を得ようとする人たちが破壊された神話を何とか修復して復活させようとを試みている。福島原発の事故は、日本人の生存を脅かし、世界遺産とそれを守る地元の人たちの命までおびやかしている。
世界遺産の保存と継承は、核兵器や核開発による文明とは相いれないことを証明した。いってみれば、世界遺産保存運動は核兵器、核開発と原発に鋭く対立する地球的規模の運動なのである。世界遺産の周りに住む、すべての生物、動物、人間の保存に深くかかわり、核を利用するあらゆる企てに、客観的に反対する運動なのだ。
地球に生物が住めるようになり、人間が誕生してから四十万年の気の遠くなるような長い時間が経過して今日を迎えているが、これから先何万年生きていくことができるのかどうかは、自然を破壊し、すべての生き物の命を危うくする試みとの長い戦いがはじまっている。
今年はエスペラントが生れてから125年。地球上の大部分の人間が、地域、民族、宗教やニヒリズムを越えて、理解と融和を基調とする地球家族の絆をたもちながら生きていくための道具、それがエスペラントなのである。
私は願う。すべてのエスペランチストたちへ。あなたがすんでいる町や地域に世界遺産があるあらば、それをエスペラントで書いて交流したいと。私たちの住む大地や海は、そこに住む人たちの手で守ってもらわねばならい。そしてその遺産の存在、歴史や人々の生活をエスペラントで書いて交流しようではないか。つまり世界遺産はどこに住もうとみんなの力で保存していかねばならない大事業なのだ。
エスペラントによる世界遺産の存在を世界的規模で交流させることは、これからの長い平和な地球を守る活動につながっていく。(2012-04-11東日本大震災から1年1カ月の日)

